川越いもの始まり
江戸時代中期、八代将軍徳川吉宗の命を受けた青木昆陽により、さつまいもの栽培が広まり始めた頃。川越藩領のある武蔵野台地は、火山灰土である関東ローム層で覆われていて農業は厳しいとされていました。そこで南永井村(所沢市)の吉田弥右衛門は、上総から種いもを取り寄せ、飢饉に強いというさつまいもの栽培を始めました。そこから近隣の村々にも広がり、川越藩でさつまいも栽培が定着していきました。川越で作られたさつまいもは新河岸川の舟運で江戸に運ばれ、江戸っ子たちの間で美味しいと評判になり、「さつまいもといえば川越」と言われるようになりました。
- 赤沢式 栽培方法の確立
- 今福村(川越市)の赤沢仁兵衛は、従来の栽培方法を徹底的に研究し、誰でも収穫量を2倍に増やすことができる方法を確立しました。種いもには良いいもを選ぶ、肥料は灰と自家製堆肥を使う、うねはなるべく高くして釣針型に苗を挿すなどでした。仁兵衛はそれを「赤沢式」として人々に広め、川越地方で高品質のさつまいもが多く生産されるようになりました。
- 伝統あるさつまいも 紅赤
- 明治31年(1898年)、大宮台地の木崎村針ヶ谷(さいたま市北浦和)の主婦・山田いちが、自分の畑で突然変異したさつまいもを発見しました。皮の色が美しい鮮紅色で、従来のいもよりもさらに美味しいものでした。翌年、市場へ出荷したところ高値で取引され、たちまち評判となりました。そのいもは「紅赤」と名付けられ、川越いもが全国に知れ渡りました。現在は生産量が減り、三芳町、川越市南部、さいたま市など一部の地域で栽培されています。
- 時代に合わせたさつまいも栽培
- 現在は紅赤に代わって紅東が多く作られています。また、近年はねっとりとして甘いさつまいもが好まれるようになり、新品種も増えています。川越いも彦兵衛では、毎年12種類ほどの品種を栽培し、販売しております。